開業のお知らせ…宇塚浩一
私は組織変更前の「広田常田海賀鑑定事務所」を含めると20数年在籍した「株式会社海賀不動産鑑定事務所」から独立して、本年10 月に栃木市大町で「合同会社宇塚鑑定事務所」を設立・開業しました。 「栃木県不動産鑑定士協会」にはその前身組織を含めると20年以上在籍し、同業者の多くは昔からの知り合いで周りの環境は変わらず、また、歳をとって感性が鈍くなったためか、開業に際しての感慨は特にありませんでした。ところが、「広報・情報委員会」から協会のホームページに載せる開業挨拶文的なコラムを書いてくれと依頼されたので、この歳になって今更挨拶文かよとも思いましたが、紋切り型の「開業しました宜しくお願いします」的な文章ではなく、率直な感想を書きたいと思います。
私は平成5年に「広田常田海賀鑑定事務所」に入所し、この業界に入って海賀宏之先生の下で、長年にわたり不動産鑑定評価と不動産鑑定士としての心構えをご指導頂きましたが、深く感謝しております。その後20数年在籍したのは、きっちりした会社組織ではなく、マイペースで働けたのが私に合っていたのだと思います。 平成8年に 「栃木県不動産鑑定士協会」の前身組織(正確な名前は忘れました) に入会しましたが、同時期に入会したのが鈴木健司会長(当時は結構イケメンでした)と亡くなられた小倉さんでした。当時は所謂バブルの崩壊後で不動産業界は落込んでいましたが、不動産鑑定業界は不況対策の公共事業関連と金融機関の担保評価の仕事があり、まだ景気がよい時期でした。鑑定士会の総会後等に開催された懇親会は盛大に行われ、その後の2次会で高級キャバクラ(私は余り好きではありませんでしたが)に繰り出したのは、鑑定業界の現況と比較すると隔世の感があります。 私の記憶では、平成12、3年頃から公共事業関連の仕事が、平成15年頃からは金融機関の担保評価の仕事がそれぞれ減り始め、不動産鑑定業界は長期低落傾向になりました。こうした状況の中で、ここ10数年内に不動産鑑定業界に入られた方は、仕事の確保に苦労しているのではないかと思います。
私には感性が豊かな面があり、年に数回、「棚倉城址」や「栃尾市」(現在は長岡市に編入)、「上田城と真田の里」等に一人でぶらりと出かけて歩き周り、その歴史とその土地に暮らす人々の生活にロマンを感じるようなところがありました。しかし、今はそう言う感性が薄れて感情の量が減り、感動することが少なくなりましたが、余り物に動じないようにもなりました。そのため、開業にあたり抱負や不安は特にありませんでしたが、地価公示の幹事を拝命(押し付けられ?)していたので、NWシステムやリアネットへの接続が支障なくできるかどうかが気懸かりでした。光回線を電話、FAX、インターネットに分岐する作業に、NTTの一部説明不足によるこちらの勘違いもあり、申し込んでから3週間もかかった時は少し焦りましたが、分科会の開催に影響が出る前に開通してほっとしました。開業前は仕事が地価公示と国税評価だけになるので、暇ができるかなと思っていましたが、開業当初の諸種登録申請・変更届や仕事に必要なサービスを提供する業者との契約等の事務仕事が煩雑であり、また、会計帳簿の記入も大変で、1人で仕事をするのも楽ではないと感じました。
体力の衰えと容姿の劣化は以前から自覚していましたが、最近、知力も衰えてきたかなと思うことがあり不安になります。こうした状況ではありますが、仕事は無理せず続けられる範囲で頑張り、協会の一員としてできる限り協力したいと思いますので、今後も何卒よろしくお願い致します。